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Tuesday, November 13, 2018

1%の自力と99%の他力

私事ながら、

本日誕生日を迎えました。

カイロプラクティックの世界に入ると決めて人生の半分以上が経ち、

今はこうして少しずつではありますが、

最善のカイロプラクティックを提供させて頂いています。


よくよく考えれば、

自分で選んできたようで選ばれた道。

自分で切り拓いてきたようで切り拓かれていた道。

自分で生きているようで生かされ続けている今の自分がいます。


もしかしたら、

生きる上で「自力」は1%程度だったのかもしれません。

ほとんどが自力以外の「他力」によって生かしてもらっていると言っても過言ではなく、

そう考えないと辻褄が合わないほど、

やっぱり「他力」によって生かされてます。


でも、

その「自力」の1%がなければ残りの99%はないわけで、

「自力」と「他力」の二つがあって私の人生ができていると言えます。




まさにカイロプラクティックもそうで、

1%の介入(きっかけ)が、クライアントさんの力を導き出してくれるわけで、

カイロプラクターにできることは1%でしかなく、

その後はクライアントさんの力99%が加わって“100%の結果”として現れるものです。



その自力である1%(きっかけ)の質をより高めて行き、

多くの人生のたった1%の貢献者になりたいと、

改めて思える日になりました。


これからも、

『自分がやってあげてる、自分がやったんだ、自分の力だ』

と傲ることなく、

「1%の自力」と「99%の他力」を弁えて、

1%の質にこだわって生きていこうと思います。


今までも、これからも、皆さんのお陰です。

すべてのありがたさを改めて分からせてくれるこの日にも感謝して。

ありがとうございます。


Takaゼミ開講!

なぜ、なぜ、なぜ?

表に現れるテクニックや結果は、その奥底にある <なぜ> によって大きく違います。

世の中には、<どのようにやるか> というHOWを教えるセミナーばかりです。

なぜ教わった人が教えた人と同じ結果を得られないのでしょう?

逆に、

なぜ教わった人が教えた人より”成功“してるのでしょう?

そもそも、

なぜ教えてるのでしょう?

なぜ教わるのでしょう?

HOWばかりに目が行きがちですが、

その根源となるWHYはしっかりとキャッチできていますか?

WHYが違えばそのHOWは全くの別物です。


Takaゼミは、

HOWを教えるところではありません。

WHYを深く広く追求する、真の学び場。


一人の頭で考えられることは微々たるものです。

一人で居れば脆弱な論理の上に論理を重ねて、気付かぬうちに道を外れます。

Takaゼミは大学のゼミ形式で、トップダウン、一方通行式のレクチャーではなく、

複数人でアイディアを出し合い、ディスカッションしながら、

皆がカイロプラクターとしての「根」である

脊椎サブラクセーションを深めていく事ができる、

世界で初めてのフェアで学際的な場です。


〔入ゼミ条件〕
・カイロプラクター及び学生
・年齢、経歴不問
・フェアな議論ができる方
・英語の文献や論文を読む覚悟のある方
・カイロプラクティック、カイロプラクターの根を深めたい方



〔詳細〕
・月一回、志賀のオフィスで開催(事前に日時をアナウンス)
・定員5名
・料金 1回 5,000円


〔設ゼミの経緯〕
カイロプラクティック界は学際性に乏しく、特に自分だけの世界観で満足し、
一子相伝的な縦の関係が強く他者の意見を聞こうとしない傾向にある。
それが故に、
業界のまとまりもなければカイロプラクティックの「前提」を問い直す事もなく、
“なんとなく”日々を追われているのが現状である。

表面的なパフォーマンスの継承ではなく、WHYという根を深く張り巡らせ、
何ものにも屈しない頑丈さと、他を受け入れ活かすしなやかさを兼ね備えた、
“カイロプラクティックの表現者”を輩出する事が急務であると感じ、ゼミ開講に至った。


〔最後に〕
ゼミに入っても志賀門下やTIC道門下でもない。ましてや修了証が出るわけでもない。
師弟関係も取っておらず、全体の方向性を取りまとめる指南役として志賀を置き、
独立した皆が同じ地平に立ち、同じ立場で同じテーマを議論し、高め合う仲間である。
ゼミに関するお問い合わせは、
まで。


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Friday, October 26, 2018

「本能」と「意識」

クライアントと話をする時に、

私はよく「本能」という言葉を使います。


それは「意識」の対義語として使っていますが、


 先天的にある「本能」と、

     後天的に得た「意識」のふたつを日頃から自覚している人は少ないです。


だからこそ、

「本能」と「意識」の違いを伝えるようにしています。


「意識」は後天的なものなので、間違うことが多々あります。

大抵、失敗するのは「意識」に囚われてしまっている時です。

所謂、“考え過ぎ” の時。





そんな中、決して間違ったことをしないのは「本能」です。

ただし、“生命表現をする上で”という前提での話ですが。


「意識」は熟睡している時、昏睡時にはありません。

それでもあなたは生きています。

「意識」がなくても生きられるのは、「本能」が体を生かしているからです。



あまりにも「意識」に重きを置きすぎて、

「本能」を軽んじている人が多いので「本能」を強調してお伝えしますが、

実は人間の感じる “美しさ” は、

「本能」と「意識」の融合からくるのかもしれません。