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Saturday, April 27, 2013

こだわり

何かを貫くということは生きる上では重要で、人によって譲れないところやこだわるところが違う。人生観とか、その人の美学に通ずるところだろう。

ただ、時にその“こだわり”を見直すことも大事だと最近特に思う。




何かに執拗にこだわり過ぎたり、カイロプラクティックのテクニックで言えばこのテクニックしかダメだという思い込みは危険な方向に行く。というか、目的がはっきりわかっていたら、方法論なんて目的を達成するための結果的な産物でしかないことに気付かなければいけない。


自分の例で言えば、自分は上部頸椎のターグルリコイルだけがカイロプラクティックだと思ったことがあった。
それは、ミキサー(病気、症状を多様な手段で治療する人)の世界からカイロプラクティックを見直した際、ストレートカイロプラクターはほぼ上部頸椎のターグルリコイルを実践してたからだ。


そこでマードックを卒業後、上部頸椎のターグルリコイルテクニックに突っ走った。が、アメリカ(Sherman College)に行って気付いたことがあった。ストレートカイロプラクターは上部頸椎ターグルリコイルではない。自分らの目的(軸)を明確にして、様々な枝葉へとそれぞれ別れて行く。どの枝葉へ手を伸ばすかは、その人の生まれ持った身体の性質によって異なってくるだけで、ストレート=上部頸椎ターグルリコイルではない。





だから自分は、ストレート=上部頸椎と思っている人から見ればストレートカイロプラクターではないのかもしれない。

ただ、これはかつての自分のように誤解してる人にわかって欲しいことだが、ストレート=方法論ではない。ストレート=Objective(目的)だ。

その目的の一つ屋根の下の住人は方法論はなんであれ皆ストレートカイロプラクターだ。

自分の目的を今一度見直さないと。その目的は人それぞれ違っていて良い。自分はたまたま自分の考えとカイロプラクティックの考えが重なったから、たまたまストレートカイロプラクティックをやってるだけだ。







そういえば、Betty Gelardi D.C.がディナーに誘ってくれた時に、こんな事を言っていた。

Betty: 「今、私の手がなくなったらAOT(アトラスオーソゴナルテクニック)を使うわ。」



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