Pages

Thursday, June 6, 2013

自分にはふたりの姉がいる。

そのうち、一番上の姉は地元延岡で“カイロプラクティック”を生業としている。



自分とは性格が違うところが多いので、カイロプラクティックに対する考え方が違う。当然のようにそれに伴って、やり方(表現方法)が一致しないのは言うまでもない。




けど、大きな目的は一致している。
「来る人に、楽しく活きて欲しい」ということ。


姉はその大きな目的のために、時にカイロプラクティック、時にオステオパシー、時にそれ以外など、いろいろな方法を使ってその目的へ到達しようと尽力している。


自分はその大きな目的のために、カイロプラクティックを通して本人に気付いてもらって、その人自身の力でその目的に到達できるように尽力している。





大きな目的を達成するために、どちらが正しいとか、どちらが素晴らしいという問題ではない。
何が自分にフィットしているか。何が自分らしい表現ができるかだけの問題。


芸術家で自分を表現するのに油絵を選ぶか、水彩画を選ぶか、彫刻を選ぶかみたいなこと。
音楽家でピアノを選ぶか、チェロを選ぶか、木琴を選ぶか、ギターを選ぶかみたいなこと。
表現に、決まった方法なんてない。
逆に決まった方法がないから、豊かな社会になる。





姉と自分、“カイロプラクティック”という単語の下、全く違う表現をしている。

ブルース・リーが “ジークンドーはただの名前だ” と言ったように、“カイロプラクティック” もただ人が付けた名称だ。



受けようと思って来る人には困るだろうけど、来る人が自分に合うものを選べばいい。





ねっ!

No comments:

Post a Comment