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Monday, September 2, 2013

自分を生きる

9月に入り、いよいよ秋の足音もせまってきた。
夏の間は窓を開けてパンツ一丁で寝ていたが、さすがに朝には寒くて眼を覚ますようになった。そろそろシャツでも着ようかな。笑



さて、
物事の本質に触れた時の衝撃は凄まじい。
今までの自分のパターンが壊されて、同時に自分の中から次々と湧き出てくるものに我ながら驚かされる。

今までわかっていた“つもり”のものが一度壊され、また新たな気付きを与えてくれる。






自分はカイロプラクティックを通して何をしたいのか。




「カイロプラクティック」を生業とする者にとって、特に“ストレート”を掲げてプラクティスする者にとっては必ず考える自分への質問だろう。



その答えは、自ずとその人自身をつくりだす。

つまり、その人の瞬間瞬間の“生き様”としてその答えを体現して行くもの。






自分の生き様を考えた際に、
今までは客観的に自分を見てるつもりだったが、それはただの幻覚、妄想だったと気付いた。
それは他人の眼から見た自分を生きているだけで、そこには本当の自分はいない。



そもそも自分の為に自分の人生を生きる事こそ、真の自分の生き様がつくられていくのだろう。

それは、自己中心的な独りよがりの自己陶酔ではない。



自分の為に生きてこそ、後の産物として他人の幸福につながると確信する。


無農薬の「奇跡のりんご」の木村さんだって、きっかけは嫁さんの体調不良でも、突き通したのは無農薬でりんごを栽培するという木村さん自身の人生。木村さんだって自分を捨てて家族の生活を優先しようと思っていれば、意地でもりんごと全く関係のない他の仕事を選んだだけの話。もし他人の人生を生きていたら、その後の多くの人々の幸福は絶対生まれなかった。


イチローだって、必死に自分の人生を生きて来たからこそ、今や「イチローの言葉」が多くの人の背中を押す事ができる。


岡本太郎だって、瞬間瞬間に自分を殺すことで開ける生の歓喜を爆発させたことで、岡本太郎の絵や彫刻といったものに全く触れた事がない人にも、物事の本質を堂々と突きつけてそれに触発される人もいる。


何かを成し遂げる人は誰ひとりとして、自分以外の誰かの人生を生きようとした人はいない。だからこそ成し遂げられるのだろう。



自分の全てを投げうって、他人のために生きることが世の美徳とされているけど、
自分の為に生きなければ、世界の全体幸福は絶対有り得ない。




(ひとつだけ断っておくが、自分さえ良ければ他はどうでも良いという考えとは全く違うことだけは言っておかなければいけない。)







僕はこれから僕として、僕の人生を生きて行く。

それが、僕の生き様になり、上記の僕の答えになるだろう。






改めて、気付きを与えて頂いた人生の先輩方に感謝。
ありがとうございます。



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