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Tuesday, October 21, 2014

限界

カイロプラクティックに制限を感じる人は、カイロプラクティックという枠から抜け出すべき素質がある人だ。




僕は正直、カイロプラクティックに制限は感じない。



ただ、カイロプラクティックに限界は感じる。





物質の限界があるように、我々生命体は限られた物質によって構成される。




脊椎の無い生命体に関しては手の施しようがないし、アプローチしようとする脊椎レベルに病変があればアプローチができない。






それはボクシングでもそう。
ボクサーは打撃に足を使わない。ボクサーがボクサーであれるのは、「拳のみ」という限られた世界の中で闘うからこそ、その面白さと奥深さがある。




もしその「拳のみ」に制限を感じる人は、キックボクシング、またはその他の総合格闘技への扉が用意されているまでだ。




野球でもそう。
限られたフィールド内でたったひとつのボールの行方に皆の全てが注がれる。無限のフィールドで、複数のボールを扱えば、もはや野球じゃないし面白くもなんともない。





ピアノでもそう。
表現できる限られた鍵盤とペダルの中で、如何にその限界の隅の隅まで自分自身が挑むか。そこに面白さと奥深さと真の自分自身の表現がある。





僕は志賀隆史であることに限界は感じる。でも、志賀隆史であることに制限は感じない。







だからこそ僕の人生があり、限られた世界でありったけの自分を表現するチャンスがある。







カイロプラクティックには、間違いなく限界はある。





でも制限を感じるか否かはその人の素質によると思うので、制限を感じるのであれば素直にカイロプラクティックから離れれば良い。






Chiropractic is vertebral subluxation.




この限られた世界には、無限の愉しみがある。





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