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Thursday, May 5, 2016

10年

自分がカイロプラクティックを学ぶために上京してから10年目に再び上京した。


この10年での自分の変化に自分が一番驚いている。




ストレートカイロプラクティックに出会うまでは、人体の構造や機能、病気や症状に対する対処の仕方を学んだ。

しかしストレートカイロプラクティックに出会って一番最初に抱いた印象は、

「これで良いんだ」

という、曇っていた空から太陽の光が鋭く、そして優しく降り注ぎ、一気に空を覆っていた雲が吹き飛んだような、そんな吹っ切れ感だった。



人体の勉強には膨大な知識が必要で、とかく毎日必死に学んだ。

医学書に埋もれて勉強していた最中に、極めてシンプルで医療とは全く異なる独自性を孕んだ、「これぞカイロプラクティックだ」という芯に触れ、それまでの人生から大きく変わった。



それからは、一般的に普及している"カイロプラクティック"を毛嫌いしていた。


「こんなのはカイロプラクティックじゃない」


そういう想いは時間とともに強くなり、そして時間とともに減衰していった。




アメリカに行ってる時に、DCの集まるセミナー中に現地の学生に言われた一言があった。

僕:「こいつらはカイロプラクティックが何たるか、全然わかっちゃいねえ。    しっかりしろよ、アメリカのDC達」
学生:「ははは、それか君がわかってないだけかもね」



その時に、何だと?!とは思わなかった。

確かに、カイロプラクティックとは何たるかというものは、多勢が決めること。

大多数を是とする民主主義の世界では、至極当然のことだと妙に納得した。




そこから徐々に他人にストレートカイロプラクティックを求めることがなくなってきたのを覚えている。



医療としてカイロプラクティックを行っている姉からもこんな言葉をもらった。

「患者さんにはカイロプラクティックなんて関係ないからね〜」




クライアントを含め、多くの周りの人にストレートカイロプラクティックを求めていた、押し付けていたんだなとわかった。




自分はストレートカイロプラクティックを通して計り知れぬ大きな感動を覚えた。
でも、他の人が同じように大きな感動を覚えるとは限らない。

まるで同じ音楽でもクラシックが好きかJ-POPが好きか洋楽が好きかがそれぞれ違うように。





自分が感動を覚えたように、自分が提供するものに感動を覚え人生がより豊かになるような人が出てくるのか。




これからの10年はどういう10年になるだろう。



10年後の自分に会えるのを愉しみにして

NON by Taro Okamoto

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