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Saturday, May 21, 2016

Get sick people wellの私的考察

Get sick people well

病人を良くする


BJの掲げたスローガンで有名だが、これを何も深く考えずに読めば「カイロプラクティックで病人を治すんだな」という印象だ。





ここで、時代背景やカイロプラクティックの独自性を主張していたBJの想いを考察してみる。


当時、カイロプラクティックの哲学はほぼ確立されていた。
しかしながら、その哲学を裏付ける科学や、哲学を表現する芸術(実践)が追いついていなかった。

そのために、アメリカ医師会に"インチキ療法"だとコケにされてカイロプラクティックには市民権が与えられていなかった。





創始者のD.D. Palmerが医師法違反で逮捕され、有罪判決が下された時に、
「私は無実だ!医療の方が病人を良くできていないことで有罪である!」
と叫んだそうだ。
つまりD.D. Palmerは、病人を良くするためにカイロプラクティックを行っていたからこそ逮捕されたのだ。



医師法違反で続々と逮捕者が出る現状で、BJは科学的にカイロプラクティックの正当性を主張するためにリサーチクリニックを開設し、医師や看護師を抱え込んでのリサーチを行い、膨大なデータを集めてカイロプラクティックケアが科学的に有効であると結論付けたわけだ。

言い換えれば、カイロプラクティックを医療の側面から正当化したということになる。




つまりGet sick people wellを掲げた背景には、
1.多くの病人を集めてデータを取りたかった
2.誰にでもわかり、インパクトのあるキャッチコピーが欲しかった
3.対アメリカ医師会が色濃く出ていた
4.医師会に認めさせるために医療的なデータを集めたかった
5.医師会からの弾圧に抵抗する材料が欲しかった


以上の理由が考えられる。




そしてBJは同時にカイロプラクティックの独自性の主張にも躍起になっていた。



そこで引き合いに出したのがやはり、医療だったのだ。

医療は病人ではなく病気を相手にしている
医療は人体に何かを付け足す、所謂医師中心的な考えである
医療は人工的である


それに比べてカイロプラクティックは

病気ではなく病人(sick people, dis-ease people)を相手にしている
何も付け足さず人体内にある自然の力を活用する、その人中心的な考えである
カイロプラクティックは自然である



そう主張し、微妙な言葉遣いの中にカイロプラクティックの独自性を込めながら、対比的にカイロプラクティックの正当性を主張したかったのだ。



<余談>
医療において「病気を治す」であれば、Cure disease と言う表現を当てがうのが適切であるが、カイロプラクティックでは病気は治さない。治すのはその人自身であるということ。そして 、sick peopleという単語を使うことで病気だけをターゲットとしている医療と違って、人間を相手にしていること。さらにその人々を治すのではなく、良くなる、良好な状態に持って行くというGet ~ wellを用いていることに、医療との違いを込めた一文になっていると推測できる。こういう微妙な言い回しが好きだとグリーンブックを読むとわかってくる。




以上を鑑みると、Get sick people wellのスローガンには多くの想いが込められているのではないかと推測できる。







しかしながらGet sick people wellをスローガンとしてカイロプラクティックを用いたBJは、その後多くの混乱を引き起こすことになる。

Get sick people wellは、謂わば医療の目的と同一だとみなされる。
そこで医療とカイロプラクティックの住み分けが必要となるが、目的を医療と共にした時点でカイロプラクティックは単なる手技の一つとなってしまったわけだ。


全ては病人を良くするため。
その目的を達成するには手段は問わない。
一手段となってしまったカイロプラクティックが、その本質を失ってしまったのは現状が指し示すところである。



「医療とは違う独自のものだ」と声高らかに唱えたのに、Get sick people wellというスローガンによってカイロプラクター達の目的が医療と同一となってしまったことで、結果的にカイロプラクティックの独自性が失われてしまったという、実に皮肉な結果になってしまった。



しかしながらBJが行ったことは、良かった悪かったと批評されるべきものではなく、立場を確保するためにベストを尽くした結果であり、現在でもカイロプラクティックという固有名詞が残っているのはBJの功績なくして語れないだろう。







でも僕はカイロプラクティックという固有名詞よりも、カイロプラクティックの中身、本質を残していきたい。いずれカイロプラクティックが日本で法制化されるか禁止されればカイロプラクティックという固有名詞を捨てて、本質のみを残していくしかないと考えている。




一つの目的の下で、
信念に基づいて行動する

これまでの医療との比較ではなく、これからのアイデンティティの確立に必要な要素はそれではないだろうか。

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