「カイロプラクティック哲学」はほとんどの学校で教えられていない。
理由は様々あるとは思うが、個人的な考えをここでは展開する。
<1. 演繹法的前提>
「ユニバーサルインテリジェンスという宇宙全体を支配する叡智が有る」
果たしてこれをすんなり受け入れることができる人はどれだけいるだろうか?
個人的には"怪しさ満点"といった印象。
宗教で言えば"神の存在"を無理強いされているようだ。
宗教に熱心な方には全く支障のない概念だと思うが、観測、定量化、法則化できない限り
信じられない人にとってはとても受け入れ難い概念となる。
<2. 目に見えない>
ユニバーサルインテリジェンスにしろ、我々を生かすイネイトインテリジェンスにしろ、
目に見えない。
「百聞は一見にしかず」、「Seeing is believing」
それは宇宙人を見た人はその存在を信じ、見たことのない人は信じ難いことに代表される。
<3. 不確定要素は排除>
国が職業として認めるには、理にかなった根拠、膨大なデータ、確実性(再現性)が最も重要となる。
アメリカで"ドクター"という地位を得たカイロプラクターという職業を確立するには、
目に見えないもの、盲目的に信じなさいという姿勢は排斥される。
日本においてレーシック手術やインプラント治療が未だに保険適応にならないのも、
国民に不確定で安全安心なケアを提供できないからだ。
<4. 実践者が少ない>
私はカイロプラクティック哲学を実践している!
と自分で言うのでは意味はない。
他の人に「あの人は本当のカイロプラクターだよね」と言われて初めて、実践者と言えるのかもしれない。
文字に残したとしても、文字は本人の理解度によって多様な解釈をされて形を変えられてしまう。
やはり継承の理想は、人から人に繋ぐことなのだろう。
以上の4つのことから、
元来、的を得ているはずのカイロプラクティック哲学は受け継がれていない。
しまいには、カイロプラクター自身がカイロプラクティック哲学を抹消してしまっている事実も見られる。
だが同時に、哲学を語っているだけでは意味がない。
実践して初めて意味を成す「生きたカイロプラクティック哲学」が、
これからも受け継がれてい行くことを切に願い、これからも実践していく。
応援してくださるクライアントさん達に感謝しながら。
続く
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