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Tuesday, August 29, 2017

脊椎サブラクセーションの私的考察 part 9 纏め

このシリーズではカイロプラクティックの独自性である脊椎サブラクセーションの存在を、

発見から当初の論理、後進が辿った経緯や私的再考などを行ってきた。





元々、D. D. Palmerが1895年に発見した脊椎サブラクセーションという状態。

それは神経の振動数(周波数、発火頻度)を狂わせて病気の根源となると主張したのがはじまりだった。

しかしまだ抽象的な論理であったため具体性に欠け、尚且つ医療と目的を同じにしてしまったことから、

カイロプラクティックという職業は常に懐疑心を生み、弾圧の対象となってきた歴史がある。

そこで息子のB. J. Palmerは最新機器を導入し、脊椎サブラクセーションの科学的側面からの解明、

カイロプラクティックケアの有効性を示し、カイロプラクターの地位を守ってきた。

それでも脊椎サブラクセーションという状態を万人が納得するよう示せたわけでわなかった。


そうこうしている間にカイロプラクターと理論が多様性を極め、もはや収拾がつかない状況になってしまっている。

一部の現代を生きるアツいカイロプラクター達が、D. D.やB. J.の主張を未だそっくりそのまま使って説明しているために、

現実味の欠ける、いまいちリアリティの無い盲目的な信念を主張していると思われても当然だ。

そんな中、私なりに神経生理学、機能神経学、神経動態学、神経コーディング、情報処理学などを用いて、

脊椎サブラクセーション状態を現実的に再考察してきた。


私なりの論理は、
脊椎サブラクセーションとは脊椎の位置変位を伴う、神経を媒体とする情報交換の持続的な変調状態である。
それは物理的、化学的、精神的な過剰ストレスに見舞われた時に起こる一つの反応で、
持続的な機能的、構造的偏向性による神経組織への物理的圧刺激の結果、
情報処理、編集、伝達に変調を来し、ある程度の活動範囲に特化している状態をいう。


と難しい言葉を使ったが、簡潔に言えば

神経を使った情報のやり取りが本調子ではない

ということだ。



そして、本調子か変調状態かは他者には決められず、

その人をその人たらしめる自己存在の叡智(イネイトインテリジェンス)によって決められるものであり、

且つ後天的な叡智によって本調子か変調状態のどちらが好ましいのかを選択させるべきである。


従って目の前の人がどうあるべきかなどという万人に当てはまる模範解答は無く、

各々の自己存在の叡智(イネイトインテリジェンス)にとって快適な状態(本調子: Ease)を検査などで読み取り、

どちらを望むのかを後天的な叡智に選ばせるだけだ。


さらに結局のところ、生気論、機械論の両側面があって初めてカイロプラクティックが成り立つことを我々は認識しなければならない。



加えてD. D.やB. J.の時代では病の根源とされてきた脊椎サブラクセーションは、

生きる基礎を変える要因ではあるが万病の直接的原因ではないことが時代を経てわかってきた。



故に我々カイロプラクターは、症状や病気の治療という医療の目的から一線を画し、

脊椎サブラクセーション状態(情報変調状態)からの脱却を唯一の目的として、その独自性と価値を築き上げなければならない。










さて、今まで脊椎サブラクセーション状態を私的に考察してきたわけだが、

色々なことが明らかになってもカイロプラクターのやるべきことは何も変わらない。

何か未知のものを解明することは素晴らしいことではあるが、

ニュートンが重力や慣性の法則などを解明したと同じように、

解明したところで"それ"は既にずっと前からそこにあり、これからもあり続ける。



普遍的なものであれば、いくら理論を後付けしたところでその本質は変わらない。

勉強していくほどにカイロプラクティックは普遍的なものであると再認識できる。




しかし信じるだけで、考え突き詰めることをやめるのは堕落であり怠慢だ。

カイロプラクティックが宗教と揶揄されるのも、カイロプラクターが羨望や憧れに似た心情の下、先人の言うことを信じてそのままコピーしていることが大きい。



カイロプラクティックが生き残っていくためには、

カイロプラクターは私的な欲求のためにカイロプラクティックを利用し続けて良いのだろうか?



29歳時点での脊椎サブラクセーションの私的考察は以上となる。

これから更に深まるであろう私のカイロプラクティック道はまだまだ続く。


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