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Tuesday, December 26, 2017

命と向き合う者として

クライアントさんの抱える症状や病気を見るのとは違って、

「命と向き合う」というスタンスで日々仕事をしている。



生死に直結する現場でこそないけれど、

「生きること」に特化したサービスを提供させて頂くのが私の仕事だ。




その「生きること」には、

その人を存在させる、動力となる生命力、そして実体となる肉体が必要となる。




オフィスを訪れるクライアントさんが、

なぜ問題を抱えているのか、どうなることがその人のベストなのか、全く私にはわからない。

そして、「生きること」を "鈍らせている" 神経変調を取り除いた結果、

どのような反応を見せるかも、私には分かり得ないのが正直なところだ。




唯一無二の時計を創った張本人であるその時計職人しか、

何が問題で、どうすれば解決するかがわからないのと同じで、

その人の体のことがわかるのはその人を成り立たせている命だけだという考えを持っている。




全てを知ろうと思っても、私の経験上、そのすべては医学書や論文になかった。

そこでやっと、抽象的な命の存在とその偉大さに気づいた。


そして、

私にはその人の全てがわからないからこそ、

私の全ての感覚と知恵を動員して、命の表現をキャッチしようと一生懸命に見ることが、

他人である私にできることだ。





その人の命を最大限に尊重する在り方が、

カイロプラクティックにはある。




命と向き合う矢作医師
6:36頃〜6:53頃の内容がカイロプラクターとしてのスタンスとシンクロすると思ったので、
見てみて欲しい。

ブログと実際

同業者の方やクライアントさんによく言われることがある。

「先生、ブログ読んでる感じと実際話してみたら全然違いますね(笑)」と。



面識のない人からしたら、

なんか気難しそうとか、中には、40代のおじさんかと思っていたと言われることも(笑)



確かにマジメな内容ばっかりだし、ですます口調でないからだろうか。


自分の頭の中を整理するために書いているところもあり、ですます口調もなにか違和感。




そして何よりも気持ちを入れないとブログは書けない性分だからかもしれない。


同業者の先生方やクライアントさん、全く面識もない人にどうやったら

文字だけでアイディアを伝えられるかと試行錯誤で表現が硬くなってしまうんだと内省した。



2017年は残り一週間を切った。

2018年からはちょっと気楽に読めるようにしようかなと、薄っすら思索中です。




Friday, December 8, 2017

フシギ

クライアントさんの施術後の変化を聞いていると、

「ホントに生命の力はフシギだな〜」

と思わされる。




 なんでそんな事が起こるんだろう?

 どうしてそんなところに変化が出てるんだろう?

 まさかそういうことが起こるなんて!




そして時間と共になぜか生きやすくなっていく人が多い。


そんなクライアントさんに対して、

「〇〇さんの力は本当にすごいですね」

としか言えない。



その人を変える力は私には無く、

その人にしかその人を変えるフシギな力はないからだ。




ホントに、フシギだ!

真実はどこに

 一体何が正しいのかわからない

 誰が正しいのだろう

 真実は一体どこにあるのだろうか




どんな分野でも「?」を追い求めている人が直面する壁だと思う。




最近特に実感するのが、

真実は自分の外側には無いということ




その人にとっての真実は、その人の経験とその意味づけしかなく、

他人がとやかく言ったり、決めつけることではない。


私がクライアントさんの検査をするときも、

クライアントさんの感覚を外側から決めつけることはしないように意識している。




実体のない脊椎サブラクセーション状態だからこそ多くの客観的な指標を必要とするが、

客観的な指標によってその人を決めつけることもおかしな話だ。

寧ろ、他人には決めつけられないことなのかもしれない。




オフィスに来られるクライアントさん達は、

ある意味、カイロプラクターから"決めつけられるため"に来ている。



それでもカイロプラクティックケアによって快適な状態を経験していくと、

『信頼すべき真実は自分の内側に在る』と気づくことができると思っている。



そのアイディアを自分のものにできた時、

BJの云う"THE BIG IDEA"を掴んだという事なのかもしれない。